2008.04.21

2008年4月13日の桜@桜花ぶろぐ

この日はしだれ桜を見に行きました。
ここのしだれ桜はソメイヨシノより、
少し遅く咲くので、この日は満開でした。

桜の見ごろは過ぎてたと思ってただけに、
このしだれ桜の存在は嬉しかったです。

神社の境内に咲くしだれ桜。
実はこの神社には、我が家は何度かお世話に
なっています。子どもたち2人のお宮参りは
ここだったし、七五三もここ。

全く知らない土地に転勤してきたのに、
結婚して子どもが生まれて、いつのまにか
すっかり地に足が着いた生活を送っています。
そんな私たちを見守ってくれている神社。
そして変わらず春に咲く桜。
私たちがまたどこか越しても、いつまでも
ここに神社はあるだろうし、春になれば
このしだれ桜も咲くのでしょう。
そう思うとずっと見守られているようで、
なんだか心が安らぐような気がするのです。

「2008年4月13日の桜」
20080413

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2008.04.09

2008年4月6日の桜@桜花ぶろぐ

今年はもう前日の花見でおしまいと思ってました。
天気予報も当てにならず。いい天気じゃないですか!
どうせ雨だと別の予定を入れてましたが、せっかく
だから、近くの小さな公園まで出掛けていきました。

2年前の桜の時、この小さな公園で花見をしました。
その時おくるみにくるまってたシュンヤが、ひとりで
滑り台を滑れるようになりました。

この公園は我が家にとって特別な公園です。
ユースケが生まれた時も、シュンヤが生まれた時も、
桜の時にはここを訪れました。

いつか大人になった時、こんなことがあったんだなあと
思い出してくれたらいいな。

「2008年4月6日の桜」
20080406

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2008.04.08

2008年4月5日の桜@桜花ぶろぐ

4年前初めて<桜.BLOG>に参加させていただきました。
参加しているうちに不思議なことに気がつきました。
そのことについて綴ったのが「桜スパイラル」
1年のうち桜が咲くのはほんのわずかな期間。
そのときどこで誰と桜を見たかずっと記録していきたい。
そう思いながら、今年も桜が咲きました。
「桜スパイラル2008年度版」お届けします。

今年はなんと家族の花見と会社の花見を掛け持ちして
しまいました。花見ができそうなのはこの週末のみ。
でも次の日は天気が悪くなる予報だったので、やむを得ず
ダブルヘッダーを強行しました!家庭も仕事もどっちも
大事なんです。

会社の花見が小倉城でやることになってたので、家族の
花見は同じ小倉城で少し早くスタート。家族でお弁当を
食べた後、会社で先に場所取りしてる人たちを探しに
行きました。そこからは家族と会社の場所を行ったり来たり。

ユースケもシュンヤも一緒に遊んでもらって楽しそうでした。
こんな花見もいいかも。会社の花見が始まる頃、家族の
花見は終了。挨拶を済ませて私以外は帰りました。
私はそれから会社の花見で夜まで飲んでました(^^)。

写真はユースケとシュンヤ。ペアルックです。
お兄ちゃんはお兄ちゃんらしく。弟は弟らしく。
日々成長の途中です。

「2008年4月5日の桜」
20080405

これまでに投稿した<桜.BLOG>関連の記事はこちら

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2008.03.23

ライフ・パーセンテージ

毎日少しずつ何かが変わります。
今日はそんな話を書いてみようと思います。

「日数計算」というのがありまして、いつからいつまで
何日あるか計算するものです。検索で調べたら、
そんなサイトがいくつも見つかるので試してみてください。
例えば自分が生まれてから今日まで何日生きてるか、
調べることができます。

例えば私の場合なら14942日です。14942分の1と
いう今日を過ごしています。明日だったら14943分の1に
なるわけで、分母の数が毎日+1されます。

ユースケの場合は2580日。2580分の1という今日を
過ごしています。私の1日とユースケの1日は、同じ1日を
過ごしているようでありながら、その1日の持つ意味は
まったく違うのかもしれません。

そう考えると、年を取れば取るほど、日々が
流されていくようで、少し悲しくなってきました。

1日の重みが少しずつ軽くなっていくような、
そんな気がしていたある日、ふと気づきました。

 あれ、そういえばジョン太と知り合ってもうすぐ
 10年になるんじゃなかったっけ?ということは
(人生の)4分の1ぐらい一緒にいることになるな。

ん?このままいけばそのうち2分の1になるかも。
ということは、生きてる時間の半分一緒に過ごす
ことになるということか・・。こりゃすごい!

そうか、一緒に過ごすということは、分母が+1される
だけじゃなく、分子にも+1されるんだ。決して1には
ならないけど、少しずつ1に近づいていく。人生における
割合が少しずつ大きくなる・・。

 Y(人生における相方の割合)
 X(相方に出会ってからの日数)
 Y=X/(生まれてから相方に出会うまでの日数+X)

そう考えると、年を取れば取るほど、日々が積み重なって
いくイメージが頭に浮かび、それも悪くないなと思える
ようになりました。

Life_percentage

※実際に計算してみました。これによると今年の
 12月6日になれば、私の人生の4分の1を
 ジョン太と過ごしたということになります。
 quarter anniversaryと名づけよう(^^)。

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2008.03.16

成長と日常

年末、ビデオカメラのビデオテープをDVDにする作業に没頭して
いました。ユースケが生まれる頃からだから、その数20本あまり。
よくまあ撮ったものです。見ていると懐かしい気持ちになります。
今では一丁前に口をきくようになったユースケも、幼稚園に入る
前なんてずいぶん可愛らしいもので、時の流れを感じます。

「たった3年前なのにな・・」とつぶやきそうになって、ふとあること
に気がつきました。そのときユースケ6歳。3年前というのは、
ユースケにとってはそれまでの人生の半分だったのです。私たち
にとってはたった3年前でも、ユースケにとって3年前というのは、
私たちの人生の半分に当たるようなものなのかもしれません。

子どもの頃の夏休みはずっと続くような気がしてたのに、大人に
なった今、夏はいつもあっという間に終わってしまうような気が
します。今でも覚えてる小さい頃の思い出はあんなに鮮やか
なのに、最近そんな印象に残る思い出があっただろうか。

一日は一日でも、私の一日とユースケの一日は、重みが違う
のかもしれません。1日の重み=1日/生きた日数だとすれば、
今日の私の1日は "14936分の1"で、ユースケの1日は
"2574分の1"になります。物理的な時間は同じでも、1日に
感じることは、私とユースケではずいぶん違うのではないかと、
あらためて思いました。私たちが思うよりずっとずっと大切な
一日を、子どもたちは過ごしている。そのことを私たちは忘れて
しまいがちです。自戒の念を込めてここに書きます。

久しぶりにビデオカメラの映像を見て、もうひとつ気がついた
ことがあります。3歳の頃のユースケと6歳のユースケ、
見比べてみると確かに成長しています。背も大きくなったし、
ふっくらしてた頬っぺたも、多少お兄ちゃんらしく引き締まった
顔つきになってきました。毎日一緒に過ごしてるから、その
変化になかなか気がつかないけど、確かに成長していること
が見てとれます。

シュンヤの成長は見て分かります。日々めまぐるしく変わって
いるのが、こちらにも分かるのです。昨日出来なかったことが、
今日出来るようになる喜び。私たちも手を叩いて喜びます。
でもユースケも成長してるのです。目にはあまり見えないけど。

幼稚園に入るまでの3年間は変化の連続でした。そこから後の
3年間は、見た目はゆるやかな成長で、あまり変化がない
ように感じてました。でも本当は違うのではないかということに、
ようやく気がつきました。

小学1年生と6年生の違いは何でしょうか。背が違うといえば、
それはそうですが、それよりもはっきりと違うものがあります。
それは精神面です。めまぐるしく変わっているのは体ではなく、
心のほうなのです。そう考えると、シュンヤよりユースケのほうが、
大切な時期に差しかかっているのかもしれません。

寝返り、伝い歩き、歩行と、シュンヤは誰もが通る道を順調に
たどり、たぶんもうすぐしゃべるようになるでしょう。でもユースケ
のこれからの成長は精神面。誰もと同じではありません。
ユースケだけの心が育ってきます。それはその後のユースケに、
大きな影響を与えることは間違いありません。

シュンヤにかかりきりになり、ついユースケにかまってやれない
生活を反省します。シュンヤに対しては、出来ないことが出来る
ようになったのを喜ぶのに、ユースケに対しては、出来るはず
なのに出来ない(しない)ことに苛立ちを感じるのを、反省します。

ついユースケには厳しくなりがちで怒ってしまうけど、それが
いっときの感情に任せてのことでないように、気をつけたいと
思います(とっても難しいけど)。何ごともそう「目線は遠く」。
ユースケのためを思って、叱れるようになりたいと、
頼りない親ではあるけれども、そんなことを考えています。

P.S.
ユースケは、自我が芽生える大切な時期。
でも三つ子の魂百までとも言うし、やっぱり
シュンヤも大切な時期に変わりはありません。
一日一日どっちも手は抜けないってことか・・。
子育ては一日にして成らず。ああ。

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2008.02.24

昔の自分を見てみたい

もしも願いが叶うなら、小学1年生の頃の自分を見てみたい。
すごく懐かしいと思うけど、見てみたいのは時代じゃなくて、
その当時の我が家の様子です。

あの頃の自分はどうだったかとか、親子の関係だったり、
兄弟の関係だったり。小学校高学年になれば、記憶も
はっきりしてくるけど、1年生の頃の記憶はあいまいで、
いくつか印象的な場面を覚えているぐらいです。

こんなことを思うのは、ユースケが小学1年生だからです。
あの頃の自分はこんなだったっけ?と思うことがよくあります。
もっと自分はしっかりしてたような気がするけど、そう思い
込んでるだけで、実際はどうだったのか、見てみたいのです。

ユースケを見てると心配になります。まあよく怒られること!
朝の支度がなかなかできなかったり、テレビに近づきすぎて
見てたり、何回言ってもなかなか言うことを聞かなかったり・・。
そのたびに怒るけど、ふと思うんですよ。
俺ってこんなに怒られてたっけ?

私は手が掛からない子どもだったと、母は言います。
3人兄弟の末っ子で、兄たちを見ながら大きくなりました。
父は会社を経営していて、自宅と会社が同じ建物で、共働き
だったから、ふたりとも忙しく働いてた姿をよく覚えています。
だから、親からあれこれ教わったというよりは、兄たちと
じゃれ合うように遊んでるうちに、いろいろ覚えたのだと
思います。子どもの頃の記憶は、親よりも兄たちとの
思い出が圧倒的に多いです。兄っ子?

でも実際はどうだったのでしょうか?どんなふうに接して
いたのか、どんなことを考えていたのか、1日でいいから、
親の目線で、昔の自分や兄弟や親を見てみたいのです。
そんな1日を体験できたなら、きっと言葉で語られるより、
もっとずっと多くのことを感じることができると思います。

いつから友達と外へ遊びに行くようになったんだっけ?
放課後、校庭で夕方まで遊ぶようになったのはいつ?
お小遣いもらって、駄菓子屋でクジを引いてたのはいつ?
いつから泣き虫じゃなくなったんだっけ?
私の親は、親としてあの頃どんなことを考えていたのだろう?

タイムマシンがあるのなら、どんな望みよりも、
あの頃の1日に戻ってみたいと思うのです。

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2008.02.23

mixi

mixiってどんな感じでしょうか?
見てみたいのですが、誰か招待してくれないでしょうか?

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2008.02.17

乳児→幼児パスポート

シュンヤ1才11ヶ月。遅まきながら断乳を決行。
記念に「乳児→幼児パスポート」をつくってみました。

Little_child_passport

前日、みんなが寝た後に内緒でつくって、シュンヤの枕元に
置いときました。Xデー当日の2月15日あさ、シュンヤが目を
覚ましたら、このパスポートを発見。これを持ってとことこ歩いて、
ママに渡すというのが、私の構想です(^^)。

しかしシュンヤ気づかず・・。

しょうがないので手渡してあげました(^^;)。

うまく乳離れしてくれるでしょうか。
シュンヤよ、このパスポートで乗り切っておくれ。

※パスポートと言いながら、定期券のデザインに
 なってしまったのはご愛嬌です。
 うっかり「→」ではなく「←→」にしてしまいそうでした。
 あぶない、あぶない(^^;)。

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2008.02.11

大きな喜びと大きな悲しみと

悲しみの反対は喜びだと思っていた。
でも最近、それは違うんだと思うようにしている・・。

悲しい事件や事故がニュースで流れるたびに、やりきれなくなる。
もしこれが自分の家族に起こったらとか、自分だったらとか。
そんなことを考えると、いてもたってもいられない気持ちになる。
だけど、起きてもいないことを心配しても仕方ないし、そんなとき
感情を持て余してしまって、どうすればいいのか分からなくなる。

人は生まれた以上、最後に大きな悲しみに出会う。それは
分かってるけど、ではこの気持ちをどうしたらいいのか。

悲しみの反対にあるもの、それは寂しさだと思う。
出会いがあるから別れがある。それが悲しみの元であるのなら、
それを避ければいい。いっさい人と関わり合いにならなければ、
きっと悲しくなんかならないだろう。悲しみを避け続けた結果が、
孤独な人生だとしても、それを望むのなら、その人にとっては
幸せな人生だということになる。

でもたいていの人はそれに耐えることができないのだと思う。
私もきっとそうだ。悲しみをできるだけ避けようとするなら、
その分だけ寂しさが増してくる。それがいやなら、悲しみ
そのものを受け入れるしかない。

人生の最後に喜びと悲しみを清算できたとして、喜びのほうが
多く残っていればいい。そう考えていた。でも最近、それも
違うように思えてきた。

喜びが大きければ大きいほど、悲しみも大きくなる。
悲しみを避ければ、喜びもない。喜びと悲しみは相反する
ものではなくて、一緒に寄り添っている関係なのだと思う。
喜びと悲しみと、どちらが大きいかは大した問題ではない。
大きな喜びを求めるなら、大きな悲しみを受け入れなければ
ならない。その覚悟を持つことが必要なのだと思う。

小さな喜びには小さな悲しみ。大きな喜びには大きな悲しみ。
どちらを選んでも、それはその人の生き方で、どちらも間違い
ではないだろう。でもたいていの人がそれを選ぶように、
私もまたそれを選ぶ。愚かな選択、でも愛すべき選択を。

 P.S.
  人はどこから来てどこへ行くのか・・。
  死ぬのがこわいのは、そこから先が分からないから。
  あの世とか、生まれ変わり、なんて信じないけど、
  命って不思議なものだと思います。
  死ぬのがこわいと思うのは当然だけど、生まれるのが
  こわいと思わないのはどうしてでしょうか?
  そこから先が分からないのは、死ぬときだけじゃなく、 
  生まれるときも同じはず。では、なぜ赤ん坊の頃は
  こわくないのでしょうか。

  赤ちゃんなんだから当たり前だというかもしれませんね。
  でも不思議なことだと、私は思います。お母さんのお腹
  にいるのがたぶん何よりも幸せなこと。でもいつかは
  そこを離れないといけません。生まれて向かい合う
  未知の世界に対するこわさをやり過ごすため、最初は
  赤ちゃんという無垢な存在で始めるのかもしれません。
  いや、もしかしたらオギャーと泣いて生まれるのは、
  こわいこわい、と泣いているのかもしれませんね。
  でもお母さんに抱きしめられて安心して泣き止む。
  そうやって、こわいけど新しい世界を少しずつ受け入れて
  いくのかもしれません。たぶん私たちは忘れているだけ。
  死ぬほどこわい思いをするのは初めてのことじゃない。
  そしてその先に起こる安らぎ・・。
  人生の最後に、もう一度その時のことを思い出すのかも
  しれません。今はそう信じたいと思います。

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2008.02.08

年賀状プロトタイプNO3

Prototype3

これは年賀状のメインイメージをどこで撮影するか、
検討していたときの1枚です。完成間近。

屋根裏部屋を抜けて、屋上に出て撮りました。
「借景だー!」などと意気込んで撮ったのですが、
背景がゴチャゴチャとうるさくなり、ここで撮る必然性も
感じられなかったので、この写真はボツになりました。

実際には部屋の白い壁を背景にしたシンプルな仕上がりを
採用しました。※完成版はこちら

ただ、この借景のアイデア自体は気に入ってます。背景が
新緑だったり、抜けるような青空だったら、きっと面白かった
だろうと思うのですが、時期的に年末だったのが残念です。
年賀状には採用しなかったけど、別の形でまたトライしたい
と思っています。

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