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2004.06.12

スピードと記号化

手紙を書くときに、顔文字を使わないと不安になる人が
いると聞きました。ちゃんと相手に気持ちが伝わってるかどうか
顔文字を使わないと不安になるそうです。
キーボードで打つキーを組み合わせて作る顔文字なのに、
それを手書きで書く不思議さ。そうかそんな時代になったのか、
と素直に驚きました。個人的には顔文字に頼らず、できるだけ
自分の言葉で気持ちを伝えたいと私は考えています。
だからといって顔文字が不要だとは思ってません。

顔文字がコミュニケーションとして必要なケースもあるはずです。
例えばチャット。1~2行の言葉のやり取りで行われるチャットに
自分の気持ちをくだくだ書く余裕はありません。伝えたい内容を
書き、それを書いた意図が誤解されないように、気持ちを伝える
顔文字を添えるのが、チャットをスムーズに進行する上で有効な
手段といえるでしょう。

そこまで考えて、ふと気づきました。
顔文字を使う必要があるものと、そうでもないもの、その違いは
「スピード」にあるのではないか?スピードが速くなればなるほど
そのスピードに乗せられるものは限られてくる。だからチャットでは
伝えたい内容が優先されて、それに伴なう感情は顔文字という
記号に置き換えられることになる。そうしなければチャットが求める
スピードについていけないからです。

本来、気持ちを伝えるためには言葉を使います。言葉も記号では
ないかと言われたら確かにそうです。だけど、単語を組み合わせる
ことで文章をつくり、文章を組み合わせることで、自分の気持ちを
忠実に伝えようとすることができます。その組み合わせは無限の
可能性を秘めています。だからこそ言葉は面白い。
気持ちを単純な記号に置き換えるのは、なんだか味気ない感じが
します。ゆるやかなスピードならそれに合わせて語れる言葉も、
スピードが速くなればなるほど言葉は省略され、記号化されるのは
避けられないことです。目の前をめまぐるしく流れるものから何かを
読み取るには、言葉を尽くして語ったものより、パターン化された
記号のほうが分かりやすい。そうして「思い」はそぎ落とされていく。
顔文字だけに限りません。これはスピードを求めるすべてのものに
当てはまる現象です。置き換え可能なものはパターンとして記号化
されていく。その背景にあるものは、ばっさり切り捨てられて・・。
その結果、この社会では何が起きているのか?

スピードに慣れたとき、私たちは記号を使い始めます。
言葉で表現できる時でも、便利な記号を使いたくなります。
でも、「思い」は、そんな簡単に記号に置き換えられるものなのか?

昔に比べれば、あらゆるもののスピードが速くなっています。
それを否定して生きていくことは現実的ではありません。
ただなにもかも速くなれば良いとは思わないし、自分の意思で
スピードをゆるめることも必要でしょう。

大切なものはどこにあるのか、忘れず考え続けたいと思います。
日々流れていくスピードの中で。

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