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2004年8月の10件の記事

2004.08.26

ざっぶーん・。・。・゚ @夏っちゃん

ユースケ大はしゃぎ

海に入るつもりはなかったんですよ。
最初はひかえめに波打ち際を足でじゃぶじゃぶ。
でも気がついたらこんなになっちゃいました~。

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砂浜の美術展

芦屋サンドアートフェスタ2004 「砂浜の美術展」に行ってきました。
毎年8月下旬に行われていて、今年は8月19日~23日でした。
10回目となる今年のテーマはイギリスで、メイン砂像は高さ
8メートルの「ウエストミンスター宮殿と近衛兵」でした。
サブ砂像は「ピーターラビットの世界」と「不思議の国のアリス」。
他にも、町内外のいろいろな団体や企業が、30もの楽しい作品を
出品してイベントを盛り上げています。

私たちが「砂浜の美術展」に行くのは、今年で3回目です。
最初が4年前。テーマはエジプトで、メイン砂像は「アブシンベル神殿」。
そして2回目が2年前。テーマはドイツで、メイン砂像は「ノイシュヴァン
シュタイン城とグリムの森」。どれもスケールが大きく、精巧で見応えが
ありました。※砂浜の美術展のあゆみ

福岡県遠賀郡の芦屋海水浴場で開催されるこのイベントは、町おこしの
一環として行われていて、そのあゆみは興味深いものがあります。
芦屋の砂浜を利用したイベントとして始まって、砂像作りのノウハウの
取得、規模の拡大、交通渋滞の緩和、無料から有料化への移行、
PR活動など、さまざまな問題を解決しながら、ここまできました。
始まりはちょっとした砂遊びの延長だったのが、だんだん本格的な
イベントに成長していく様子が嬉しくて、つい応援したくなります。
今回行ってみると、芦屋観光巡回バスというのがありました。
芦屋の観光名所と食事処を巡回する無料バスで、面白い試みだと
思いました。観光客をイベント会場だけではなく、芦屋の観光名所にも
足を運んでもらい、食事も楽しんでもらおうという、まさに町おこしの
アイデアです。

これからどんなふうに成長していくのか?見守っていきたいイベントです。
※ミニコンサートや、マリンスポーツ体験コーナーなども各種あり。

「砂浜の美術展」
ウエストミンスター宮殿と近衛兵

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2004.08.23

ゆるやかに築くもの

今年も「砂浜の美術展」に行ってきました。
そのときのレポートはまた後日アップしようと思いますが、
2年前に書いた日記があり、このblogにも再掲載したいと思います。
ユースケが1歳6ヶ月になる頃の日記です。

(以下原文そのまま)
2002年8月25日の日記
「ゆるやかに築くもの」

昨日、芦屋の「砂浜の美術展2002」に出掛けた。
今年で8回目になるそうで、私たちがこのイベントに初めて行ったのは
おととしのことだった。当時ユースケはまだ生まれておらず、ジョン太の
お腹の中にいた。妊娠していたことが分かって間もないときで、
つわりもあるし大事を取って、涼しい午前中だけ見に行ったのだった
(そんなときでも出掛ける私たちって??)。

去年はユースケがまだ6ヶ月経ってなかったのでパス。
そんなわけで今年は久々に見に行けるので楽しみにしていた。
今年の砂像も素晴らしく、私たちは大満足だった。
ユースケも砂浜を歩くのが楽しいのか、元気良く駆け回っていた。

夕方近くになり帰る頃、私たちは砂浜を歩きユースケもその後を
ついてきていた。「ユースケ、帰るよ」と声を掛けると、ユースケは
寄り道をしながらも、私たちの後をトコトコとついてくる。
最近では、呼べば振り返るし、呼んでることが分かるのか、
こちらに近づいてくる。以前だったら考えられないことだ。
やはり少しずつ成長しているのだろう。

手をつないで歩きたいのだが、歩きにくいのか、相変わらず嫌がるので、
仕方なく後ろを振り返りながら、声を掛け、ついてきているのを確かめ
ながら歩く。つかず離れず歩く私たちとユースケ。見えない糸で結ばれてる
みたいだ、なんて、柄にもなくふと思ってしまった。不思議なもので、
これだけ大勢がいるのに、ユースケは私たちを見つけてついてくる。
当たり前のことと思うかもしれないが、それまではできなかったことなのだ。
我が子が自分たちの後をついてきて、私たちは我が子を振り返る。
親子の関係とはきっとこんなものなのではないか。

初めから親子の絆があるわけではないと思う。子供が生まれた瞬間から
親という役割、子という役割がそれぞれに与えられるだけなのだ。
我が子を愛しいと思うのは当然の感情で、それに疑問をはさむつもりはない。
だけどそれだけで親になれるわけではない。子供が親を認めて後をついて
きて、親は後ろを振り返りその子の名前を繰り返し呼ぶ。親子の絆とは、
そうやってゆるやかに築いていくものなのだろう。
そんなことを考えながら芦屋の海を後にした。

私はこの光景をきっと忘れることはない。

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2004.08.22

映画 「父と暮せば」

「父と暮せば」
監督:黒木和雄
出演:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信


もう少し、あともう少しこのまま見ていたい。そう思った映画でした。
ここには私たちが失くしたものが溢れています。
それは例えば、まなざしの優しさです。

この「父と暮せば」は、黒木和雄監督の戦争レクイエム三部作の
完結編になるのだそうです。一作目は長崎の原爆投下までの
市井の人々の24時間を描いた「TOMORROW/明日」。
二作目は監督自身の戦争体験をもとに作った「美しい夏キリシマ」。
そして三作目の「父と暮せば」は、広島の原爆投下から3年後が
舞台になっています。

「TOMORROW/明日」で深く感銘を受けたので、この映画はぜひ見たいと
思ってました。原作は井上ひさし。出演は宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信。
ここまで役者が揃えば、これはもう見るしかありません。

広島の原爆投下から3年後の夏。美津江(宮沢りえ)は一人で暮している。
原爆で自分だけが生き残ったことに負い目を感じる美津江は、ある日、
青年(浅野忠信)と出会い、お互い惹かれ合うが、美津江は幸せになること
を頑なに拒んでしまう。そこに原爆で亡くなった父(原田芳雄)が突然現れる。
自らを「恋の応援団長」と名乗り、なだめ、すかし、励まし、なんとか娘に
幸せになってもらおうとするのだが・・。

この映画は基本的に二人芝居です。浅野忠信も少し出てくるけど、
ほとんど宮沢りえと原田芳雄の2人のみ。この2人がすごく良い。
宮沢りえは「たそがれ清兵衛」で見て、ものすごく好感を持ちました。
この「父と暮せば」もそうですが、女性的な情感あふれる演技です。
いつのまにこんな役者さんになったのでしょうか。
そして原田芳雄も素晴らしい。この「おとったん」は最高です。
広島弁の父娘の会話が生き生きとしています。何気ない仕草や
言葉に細やかな情感が漂って、それが見る者を嬉しくさせます。

二人芝居とはいえ、この父は娘が生み出した幻だということが、映画を
観はじめてすぐに分かります。つまりこの映画の本質は一人芝居といえます。
幸せになりたいという自分でも気づかない思いが、父という姿を借りて
現れたわけです。幸せになってはいけないという意識、幸せになりたいと
願う本心、その葛藤の物語です。

「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」
頑なに幸せを拒む娘。広島に原爆が投下された日、娘は何を体験したのか?
次第に明らかにされていきます。友を失い、父を失い、自分だけが生き残る
後ろめたさ。この映画を見て感じるのは、なぜ罪もない人たちがこんなに
苦しまなくてはいけないのか?ということでした。戦争が否応なくすべての
人の心に影を落とす悲劇。どうしてこんなことが起こるのか?時に激しく、
時に静かに、この映画は語りかけてくれます。

原田芳雄と宮沢りえが演じる、親子が死に別れる再現シーンは
映画史に残る傑作です。2人が語り始めると、原爆が投下された直後の、
あの「ヒロシマ」が見えたような気がしました。回想シーンで話を進めるのが
映画のセオリーですが、あえてそれをやりません。舞台劇そのままに、
2人の演技で再現していきます。娘を思う父親の気持ちが、原田芳雄の
真っ直ぐに突き出されたこぶしに象徴されていて、胸に迫りました。
過去も未来も変わらぬ愛情が、そこにはあります。

父に励まされ、悲しみを乗り越え、未来に目を向けるまでの4日間の物語。
ぜひ劇場に足を運んで見てください。それだけの価値はあります。

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2004.08.18

祈るということ

「みなさん、世界の方、どうぞ、平和な、一日(いちじつ)も、
平和な日が、訪れますように。ただただみなさん、仲良く、
日々(にちにち)を、過ごさせていただきますように・・」

こうインタビューに答えたのは岡村 迪子(みちこ)さん(95歳)。
終戦記念日の8月15日、戦没者追悼式でのことでした。

その日テレビのニュースでその映像を見ました。
夜、寝るときになぜかその言葉が思い出されました。
頭の中で繰り返すのは「ただただ・・、ただただ・・」と、
そこばかり。なぜこんなに気になってしまうのだろう?
翌日、私はこの岡村 迪子さんのことを調べるために、
ネットの中を駆け回っていました。

岡村さんは東京の日本武道館で行われた「全国戦没者追悼式」に、
遺族の参列者として広島から出席しました。遺族の参列者は
高齢化が進み、「戦没者の母」としては今回ついに岡村さん一人
だけとなりました。岡村さんは今回初めて参列したそうです。
最高齢であり、また唯一の「戦没者の母」の参列者として、
インタビューを受けていました。

岡村さんは「戦没者の母」。広島の原爆で2人の子供を亡くした
そうです。長女(当時18歳)は、幼子のいた岡村さんに代わって
爆心地近くの建物の解体作業に行き、そこで被爆、命を奪われ
ました。長男(当時14歳)は近くの学徒動員先で閃光を浴び、
歩いて自宅にたどり着いたが、「お母ちゃん、やっと帰ってきたよ」と
いう言葉を残して息絶えました。
「来年で60年というけれど、私にとっては昨日のような気がします」

ネットを駆け回り、岡村さんについて一通り調べ終えて、
そこでまた立ち止まって考えるのは、やはり冒頭の言葉でした。
どうしてこんなにあの言葉が気になるのだろうか?

腰を曲げ、杖を突き、年老いた「戦没者の母」が訥々と語るのは、
誰をも憎まず、ただただひたすらに平和を願う祈りの言葉でした。
人として、この世の中で一番尊い行為は「祈る」ということだと
思います。冒頭の言葉が胸に迫るのは、だからなのかもしれません。

世界がこの言葉を噛みしめればいいのに。
そうすれば戦争なんてものは無くなるかもしれない。

戦争で犠牲になった人たちの魂が安らかでありますように・・。
岡村さんの祈りが世界中の人たちに届きますように・・。
私も祈ります。

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2004.08.16

アンリ・カルティエ=ブレッソン

写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソン(95歳)が8月3日に亡くなった
そうです。ある方のblogで知りました。こういった情報はテレビや新聞
だけではなかなか伝わってこないので、そういう意味でblogというのは
役に立つなあと思ったりします。

さて、そのアンリ・カルティエ=ブレッソンですが、実は私はそれほど
詳しいわけではありません。ただ以前、写真展を見に行ったことがあり、
その感想を日記に書いていたのを思い出しました。
「写真」について、自分なりに思うところが書いてあり、読み返すと
なかなか面白かったので、このblogにも再掲載します。

(以下原文そのまま)
2000年9月23日の日記
「アンリ・カルティエ=ブレッソン写真展」

写真は引き算の芸術である、と何かで読んだ記憶がある。
アンリ・カルティエ=ブレッソンはそれを強く感じさせる写真家だった。

招待券をもらったので、写真展に行こうという話になったのだが、正直
このアンリ・カルティエ=ブレッソンという写真家は全く知らなかった。

モノクロの写真がずらりと並ぶ。今回は「Landscape/ニ度とない風景」と
いうサブタイトルの通り、風景をテーマにした写真展だった。
世界各地のどこにでもある風景が、どこにでもない写真として収められて
いる。写真家というのは、すごい人たちだ。この人たちにかかれば、
何気ない風景が、一枚の芸術に変わる。これを感性というのだろうか?

アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真は絵画のようだった。
これ以上ない構図で、申し分のない白と黒のコントラスト、遠景に霞む
建物や森などは墨絵を思わせる。印象派のような点描としか思えない
タッチの風景写真もあった。

余計なものは何も入れない。余計なものはカメラのフレームから外してしまう。
真っ白なキャンバスに自分の伝えたいものだけを残す。これが引き算の芸術。
自分の感性に従い、伝えたいものを狙い、定め、その瞬間を記録する。
そこに写し出されるのは、他の人には決して撮り得ない「二度とない風景」だ。

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2004.08.15

わっしょい百万夏まつり

「わっしょい百万夏まつり」が8月7日(土)・8日(日)に行われました。
私たちは初日の「夏まつり大集合」を見てきました。

この「わっしょい~」は、北九州のお祭りの総決算ともいえるイベント。
初日が「オープニングパレード」に始まり、「わっしょいYOSAKOI北九州」、
そして「夏まつり大集合」。2日目は「わっしょいこどもフェスティバル」に、
「百万踊り」、そして締めを飾るのは「花火大会」。テンコ盛りの内容です。

「わっしょい百万夏まつり」は、北九州市制25周年を記念して1988年から
始まったイベントです。百万って何?と思う人もいるかもしれませんが、
政令指定都市である北九州市にとって「百万」というのは永遠のテーマ
です。なにしろ春の異動シーズンになると百万人を割るの割らないので、
毎年一喜一憂するのですから(8月1日現在の推計人口1,000,211人)。
北九州市民の団結のため、また北九州市を全国にアピールするため、
「わっしょい百万夏まつり」は毎年行われています。
お祭りとは本来、豊作祈願など、何かを祈るために行うものです。
この「わっしょい~」は、百万人を割り込まないように祈りを捧げる
お祭りなのかも?なんて思ってしまいました。

そのせいか、お祭りの構成も全国的に珍しいものになっています。
そのイメージは「寄せ集め」といっては失礼でしょうか?とにかく楽しい。
バラエティに富んだお祭りです。特に「夏まつり大集合」は必見。
北九州市は、門司・小倉・戸畑・八幡・若松の旧五市が対等合併して
できました。その旧五市で行われてるお祭りが、この「わっしょい~」で
一同に集まるのが「夏まつり大集合」です。「大里電照山笠」、「小倉
祇園太鼓」、「戸畑祇園大山笠」、「黒崎祇園山笠」、「若松五平太
ばやし」と、それぞれ個性的な山車たちの一群があちらでもこちらでも
入り乱れて、練り歩きます。どれも伝統的なお祭りだけど、こうやって
一同に集まると、とにかく賑やかで伝統も何もあったもんじゃ
ありません。その節操の無さ?が私は好きです。
こんなに派手で楽しいお祭りはめったにないでしょう。

他に「百万踊り」というのがあって、それは「燃えろみんなの北九州」と
いう歌に合わせて、約1万人の踊り手が3部構成で通りを埋め尽くし、
踊り続けます。参加したいときは「飛び入り隊」というプラカードを
見つけて、踊りの輪の中に飛び込むこともできるそうです。

最終日の夜は「花火大会」。約3000発の花火が打ち上げられます。
街の中心部で行われる花火は全国的にも珍しいそうです。
小倉城のそばで行われるので、これも見もの。お祭りのラストを
飾るのにふさわしいイベントです。

期間中は市内外から約150万人の人出で賑わいます。
一度ぜひ見に来てください。楽しいですよ。

「わっしょい百万夏まつり」
夏まつり大集合

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2004.08.12

夕暮れに浮かぶ@夏っちゃん

夕暮れ金魚

夕暮れに浮かぶ金魚の風船。
もうすぐ夏祭りの夜が始まります。

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2004.08.03

8月2日に思う

今朝、ユースケが「おじいちゃん」という言葉を口にした。
おそらく偶然なのだろうけど、ハッとするものがあった。
昨日は父の命日なのだ。

以前、父のことを書いたことがありました。
このblogにも再掲載したいと思います。

(以下原文そのまま)
2001年8月24日の日記
「8月2日に思う」

日記を書くようになって、思っている事をちゃんと言葉として残して
おきたいと思うようになった。忘れられないこと、忘れてはならないこと、
それらをどこかで一度きちんと書いておきたいともずっと思っていた。
今日はそんな話を書きたい。

10年前の'91年8月2日、父が亡くなった。58歳、交通事故だった。
私は社会人になって2年目で、その頃東京にいた。
ごく普通の日だったように思う。
普通に出勤して、普通に仕事を始めた朝のことだった。
父が事故に遭ったことを最初に連絡くれたのは、親戚のおばさんだったと思う。
記憶は定かではない。ただ、電話を取り次いでくれた同僚が、「女からだぞ」と
ふざけて電話をよこし、後で事情を知って、バツが悪そうな顔をしたのを
なぜか覚えている。

親戚のおばさんから状況を聞き、それから兄と話した。駄目そうだった。
とにかく戻って来いとのことで、上司にその旨を話し、実家の大分に向かった。
兄からは父が死んだと聞いた。「えっ!」ではなく「へっ?」という感じだった。
その言葉の意味する事が、頭の中でうまく結び付かなかった。
すぐに支度を済ませ、羽田に向かったが、途中考えることは、
「レンタルで借りたCD返せないまま出ちゃったけど、しばらく帰れないし、
 延滞金どうしよ~」とか、実にくだらない、ささいな事柄ばかりだった。
気持ちがそんなところに逃げていたのだと思う。
危篤であれば、まだ間に合うかもしれないと焦ることも出来たかもしれないが、
私の場合、父の死という結果を先に知らされたのだ。
時間はのろのろと過ぎ、足取りは鈍かった。羽田に着き、飛行機の手配を
したときも、「あ~、こんなふうに前もって予約しなくても乗れるんだぁ」と
妙な感心をしたりした。万事その調子だった。

半日かけ実家に戻ったとき、父はすでに白い服で横たわっていた。
父の顔を見てどんなことを思ったか、遠い記憶のためはっきりとは覚えていない。
ただ取り乱しはしなかったと思う。私は父の姿を見てその死を受け入れ始めてる
自分に気付いた。私が父に最後に会ったのはその年の正月だった。
それから半年以上、父の姿を見てないし、声も聞いていない。
そして突然の死を知らされて、今ここにこうしている。
毎日父を見てきた母や兄たちは、父が亡くなったことをとても信じられないだろう。
昨日まで、いやさっきまで元気だった父なのだ。横たわる父のそばにみんなと
一緒にいるのに、自分だけがとても遠くにいるようなそんな淋しさを覚えた。

気持ちはどこか焦点を失ったままに、ただそんな状態でも通夜から葬儀へと
式が滞ることはない。悲しみにゆっくりひたる時間もない。それでいいのだろう。
儀式をひとつひとつ通過する度に、気持ちに折り合いをつけていくのだ。
唱えるお経の意味は分からないし、それで父の魂が安らかになるのか
それさえ分からないけど、遺された私たちには必要な儀式なのだと思った。

葬儀の時、母が呟いた言葉を今でも覚えている。
棺に納められた父に最後のお別れをする時、母は父の顔を触りこう言ったのだ。
「お父さんが冷たい・・」
当たり前すぎること。でもそれが現実なのだ。
私は泣いた。

父が亡くなった日は、夏祭りの初日だった。
街は賑わってるはずだが、私たちには縁のないことだった。
それでも、3日間続く夏祭りの最終日に打ち上げられる花火を遠くで見ながら、
「何もこんな時に死なんでも」と情けない気持ちになったのを覚えている。
そしてこうも思った。「お祭り見てからでも良かったやんか。ちょっと早いよ。
まだ60にもなってないんやろ。早すぎるよ」とも。

葬式が終わるとゆるやかな時間が続くことになる。ずっと泣き続けることなんて
誰にもできない。時間が来ればお腹が減るし、夜になれば眠くなる。
ふだんと同じ生活をしなければ私達は生きてはいけない。
悲しみは心の中にある。

取り戻せない悲しみは、コップいっぱいに満たされた水のようなものだ。
微妙なバランスで平静を保っている。
何ともないように見えて、だけど何でもないことで、すぐにこぼれてしまうから。
そしてまたその分だけ満たされてゆくのだ。
忌引の間、ふいに涙が出てしまうことが何度かあった。なぜこんなところで、と
思うようなところで、理由は分からないが、涙が出てしまう。
早朝、川沿いを散歩していた時のことだった。自分でも気づかないうちに
涙が出ていて、泣くことで父を思い出してしまい、そしてまた泣いた。

父は交通事故で亡くなったが、その原因は父の車が対面のトラックに衝突した
ことだった。トラックとその運転手に大事はなかったのが、せめてもの救いと
言えるだろう。車を商う仕事をしている父が、仕事中とはいえ、車で命を
落とすなんて、あってはならないことだ。事故検分によると、父は
シートベルトをしてなかったらしい。いつもシートベルトをしている父が
なぜその時してなかったのか。そしてブレーキを踏んだ形跡もなかった。
居眠りではないかという話が出た。そうではなく、体調に異変が起きた
のではないかという人もいた。そういえば最近顔色が悪かったとか、
周りの人が言ってくれた。心臓発作でも起きて、苦しくてシートベルトを
外したのだろうか。そしてそのまま事故を起こしてしまったのだろうか。
真実は誰にも分からない。分からなくていいのだと思う。
世の中には、分からないほうが良いものがあるということを、その歳になって
ようやく知った。自分の信じたいことを信じてもいいのだと思う。

私が固く心に決めているのは、交通事故でだけは絶対に死ねないということだ。
なぜなら交通事故は不幸だからだ。私の家族も絶対に交通事故で失いたくない。
どんな人生であれ、天寿を全うしたい。ひたすらそう思う。

1週間の忌引の後、1日出勤すればお盆休みになるので、
その日は有給を使うことにして、2週間近く休んだ。
その夏、私は誰よりも早く、誰よりも長い休暇を取った。忘れることはできない。

あれから10年。私は結婚して、子供ができ、家族を持った。
この10年間のことを、父ならなんと言ってくれるだろう。
8月2日になると、父のことを想い出す。

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2004.08.01

川で水遊び@夏っちゃん

何が見つかるかな?

先週、川で水遊びしてきました。
山に向かい車を走らせ、貯水池そばの「せせらぎ広場」で水遊び。
澄んだ水が気持ち良い!ここは子供たちが遊ぶにはぴったりの場所。
川の水はくるぶしくらいまでしかないし、川幅もそんなに広くないので、
子供が遊ぶのを安心して見ていられます。しかも木陰があって涼しい!
家族連れが多く、みんな思い思いに楽しんでました。

私もユースケと川で水遊びしました。石ころを動かして、魚を見つけたり、
カニと遊んだり。こうやって一緒に遊べるようになったんだと思うと、
子供の成長って早いなあと改めて感じます。

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