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2004.08.03

8月2日に思う

今朝、ユースケが「おじいちゃん」という言葉を口にした。
おそらく偶然なのだろうけど、ハッとするものがあった。
昨日は父の命日なのだ。

以前、父のことを書いたことがありました。
このblogにも再掲載したいと思います。

(以下原文そのまま)
2001年8月24日の日記
「8月2日に思う」

日記を書くようになって、思っている事をちゃんと言葉として残して
おきたいと思うようになった。忘れられないこと、忘れてはならないこと、
それらをどこかで一度きちんと書いておきたいともずっと思っていた。
今日はそんな話を書きたい。

10年前の'91年8月2日、父が亡くなった。58歳、交通事故だった。
私は社会人になって2年目で、その頃東京にいた。
ごく普通の日だったように思う。
普通に出勤して、普通に仕事を始めた朝のことだった。
父が事故に遭ったことを最初に連絡くれたのは、親戚のおばさんだったと思う。
記憶は定かではない。ただ、電話を取り次いでくれた同僚が、「女からだぞ」と
ふざけて電話をよこし、後で事情を知って、バツが悪そうな顔をしたのを
なぜか覚えている。

親戚のおばさんから状況を聞き、それから兄と話した。駄目そうだった。
とにかく戻って来いとのことで、上司にその旨を話し、実家の大分に向かった。
兄からは父が死んだと聞いた。「えっ!」ではなく「へっ?」という感じだった。
その言葉の意味する事が、頭の中でうまく結び付かなかった。
すぐに支度を済ませ、羽田に向かったが、途中考えることは、
「レンタルで借りたCD返せないまま出ちゃったけど、しばらく帰れないし、
 延滞金どうしよ~」とか、実にくだらない、ささいな事柄ばかりだった。
気持ちがそんなところに逃げていたのだと思う。
危篤であれば、まだ間に合うかもしれないと焦ることも出来たかもしれないが、
私の場合、父の死という結果を先に知らされたのだ。
時間はのろのろと過ぎ、足取りは鈍かった。羽田に着き、飛行機の手配を
したときも、「あ~、こんなふうに前もって予約しなくても乗れるんだぁ」と
妙な感心をしたりした。万事その調子だった。

半日かけ実家に戻ったとき、父はすでに白い服で横たわっていた。
父の顔を見てどんなことを思ったか、遠い記憶のためはっきりとは覚えていない。
ただ取り乱しはしなかったと思う。私は父の姿を見てその死を受け入れ始めてる
自分に気付いた。私が父に最後に会ったのはその年の正月だった。
それから半年以上、父の姿を見てないし、声も聞いていない。
そして突然の死を知らされて、今ここにこうしている。
毎日父を見てきた母や兄たちは、父が亡くなったことをとても信じられないだろう。
昨日まで、いやさっきまで元気だった父なのだ。横たわる父のそばにみんなと
一緒にいるのに、自分だけがとても遠くにいるようなそんな淋しさを覚えた。

気持ちはどこか焦点を失ったままに、ただそんな状態でも通夜から葬儀へと
式が滞ることはない。悲しみにゆっくりひたる時間もない。それでいいのだろう。
儀式をひとつひとつ通過する度に、気持ちに折り合いをつけていくのだ。
唱えるお経の意味は分からないし、それで父の魂が安らかになるのか
それさえ分からないけど、遺された私たちには必要な儀式なのだと思った。

葬儀の時、母が呟いた言葉を今でも覚えている。
棺に納められた父に最後のお別れをする時、母は父の顔を触りこう言ったのだ。
「お父さんが冷たい・・」
当たり前すぎること。でもそれが現実なのだ。
私は泣いた。

父が亡くなった日は、夏祭りの初日だった。
街は賑わってるはずだが、私たちには縁のないことだった。
それでも、3日間続く夏祭りの最終日に打ち上げられる花火を遠くで見ながら、
「何もこんな時に死なんでも」と情けない気持ちになったのを覚えている。
そしてこうも思った。「お祭り見てからでも良かったやんか。ちょっと早いよ。
まだ60にもなってないんやろ。早すぎるよ」とも。

葬式が終わるとゆるやかな時間が続くことになる。ずっと泣き続けることなんて
誰にもできない。時間が来ればお腹が減るし、夜になれば眠くなる。
ふだんと同じ生活をしなければ私達は生きてはいけない。
悲しみは心の中にある。

取り戻せない悲しみは、コップいっぱいに満たされた水のようなものだ。
微妙なバランスで平静を保っている。
何ともないように見えて、だけど何でもないことで、すぐにこぼれてしまうから。
そしてまたその分だけ満たされてゆくのだ。
忌引の間、ふいに涙が出てしまうことが何度かあった。なぜこんなところで、と
思うようなところで、理由は分からないが、涙が出てしまう。
早朝、川沿いを散歩していた時のことだった。自分でも気づかないうちに
涙が出ていて、泣くことで父を思い出してしまい、そしてまた泣いた。

父は交通事故で亡くなったが、その原因は父の車が対面のトラックに衝突した
ことだった。トラックとその運転手に大事はなかったのが、せめてもの救いと
言えるだろう。車を商う仕事をしている父が、仕事中とはいえ、車で命を
落とすなんて、あってはならないことだ。事故検分によると、父は
シートベルトをしてなかったらしい。いつもシートベルトをしている父が
なぜその時してなかったのか。そしてブレーキを踏んだ形跡もなかった。
居眠りではないかという話が出た。そうではなく、体調に異変が起きた
のではないかという人もいた。そういえば最近顔色が悪かったとか、
周りの人が言ってくれた。心臓発作でも起きて、苦しくてシートベルトを
外したのだろうか。そしてそのまま事故を起こしてしまったのだろうか。
真実は誰にも分からない。分からなくていいのだと思う。
世の中には、分からないほうが良いものがあるということを、その歳になって
ようやく知った。自分の信じたいことを信じてもいいのだと思う。

私が固く心に決めているのは、交通事故でだけは絶対に死ねないということだ。
なぜなら交通事故は不幸だからだ。私の家族も絶対に交通事故で失いたくない。
どんな人生であれ、天寿を全うしたい。ひたすらそう思う。

1週間の忌引の後、1日出勤すればお盆休みになるので、
その日は有給を使うことにして、2週間近く休んだ。
その夏、私は誰よりも早く、誰よりも長い休暇を取った。忘れることはできない。

あれから10年。私は結婚して、子供ができ、家族を持った。
この10年間のことを、父ならなんと言ってくれるだろう。
8月2日になると、父のことを想い出す。

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コメント

タオさんお久しぶりです。
なんかこの記事を読み始めてドキドキしながら読んでました。
延滞料金どうしよう、とか、予約無しでも乗れるんだ。
って考えてる時のタオさんの気持ちが現実から離れたいって書いてあるのを見て
実際そうなのかもな。と思いました。
まだ私は家族の死に直面してなくて歳を取っていく親を見ながら
ドキドキしたりするときもあるけれど、
いずれは超えなくてはいけないときがあるんですよね。

投稿: mwezi | 2004.08.19 15:58

>mweziさん
お久しぶりです。重い文章だと思うんですけど、
読んでもらって恐縮です。この文章は3年前、
自分のために書きました。悲しいことに記憶は
薄れてしまうものだから、忘れないようにきちんと
書いておこうと思ったのが、この文章です。
10年前の記憶を思い出しながら書きました。
毎年8月になると読み返すようにしています。

親孝行って出来るときにしとくべきですね。
本当にそう思います。大したことじゃなくて
良いんです。親子の間で楽しい思い出が
たくさんできれば、それが親孝行なのだと思います。

投稿: タオ | 2004.08.19 23:18

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