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2006年12月の3件の記事

2006.12.30

12月の601号

December601go

6月から始めた「月替わりの表札」
今回の12月バージョンは、おととしマリノアシティに
行った時に撮った写真を素材にしています。プレゼントの
箱の中がキラキラ光るディスプレイできれいでした。

と何事もなく書き出してますが、実は11月の601号は
作れずじまい・・。11月は時間的に余裕があったので
読書や映画三昧でPCを触る時間が少なく、12月になると
今度は仕事が忙しくなり、またPCから遠ざかってしまう
結果に。この12月の601号も、来客があるためその日の
朝、大急ぎで作ったものです。ちょっと反省。

来年の11月もまだここに住んでいたら、今度はちゃんと
11月の601号を作ろうと思っています。

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2006.12.17

地域親制度

ここから何かが始まるのを期待してこの文章を書きます。

地域と家族と学校が連携して、子どもたちを育てることは
できないでしょうか。私はそんな未来を想像します。

昔の大人と今の大人。よく言われるのは、昔の大人は他人の
子どもであっても自分の子どものように叱っていた、それに
比べて今の大人は・・という論調です。それについて異議を
唱えたいと思います。それじゃ昔の大人は勇気があって、今の
大人には勇気がないのでしょうか。いや、そうではありません。
今も昔も大人はそう変わりません。子どもたちの振る舞いに
感じることはきっと同じはずです。違うのはたぶん時代の空気です。
個人の自由や権利が声高に語られる今の時代。昔の大人が
今の時代にタイムスリップしたなら、どんな行動を取るでしょうか。
きっと今の大人と同じ行動を取るような気が私はします。

そんな時代を生きる私たちにできることはないのか。
そう考えたとき、ふっと思い浮かんだのが名付け親や仲人といった
制度。第三者でありながら擬似的な血縁関係を結ぶことができます。
これならわが子のように叱ることもできるはず。この手法を現代に
生かせないかと思って考えてみました。それが「地域親制度」です。
※私が今、勝手に名づけました。

こんなプランはどうでしょうか。小学校に入学した生徒は、まず一人
一人に地域親をそれぞれ紹介される。この地域親が小学校6年間を
通して後見人のような役割を果たすわけです。昔のようにはいかない
までも、まずそこでわが子のように叱る権利をもった大人が少なくとも
一人いる状況がこれで出来ます。

地域親には、地元の商店で働く方がふさわしいと私は考えます。
毎年は無理にしても、数年おきにそのお店で「社会見学」を行なうのです。
いや、「勤労経験」といったほうがいいかもしれません。今の子どもたちに
必要なのは、社会とつながること。社会経験を積むことです。自営業で
なければ、親の働く姿を子に見せることは、なかなかできるものでは
ありません。大人が働く姿を見せること、そして実際に働いてみることで、
子どもにとっては他では得がたい経験を学び取ることができるのでは
ないでしょうか。低学年はお店の見学、中学年は販売、高学年は販売
および初歩的な経営の仕組みなど、学年に応じてステップアップする
ことも可能です。

そして地域親の元で勤労した経験を感想文に書いてもらいます。
子どもにその経験を考えさせるのが目的ですが、同時に教師の目に
触れるわけですから、子どもだけでなく地域親も真面目に取り組む
仕組みにもなります。

さて「勤労」という以上は、働いた対価を払わねばなりません。
それでこそ「働く」という意味が初めて分かると思うのです。だからと
いって、子どもに現金を手渡すのはちょっと生々しすぎるという場合は、
地域通貨で払うという方法もあります。その地域またはその商店街で
使える地域通貨で払うことで、地元に還元することが可能です。
子どもにとっても地域親にとっても悪い話ではないと思います。

さらに言えば、この取り組みは地元の商店にとっても大きなメリットが
あるはずです。地元の商店にとってお客さんとは、当然地元の人たち
です。地域親に名乗り出れば、その子どもの親ともつながりができます。
郊外の安売り店で買ってたその親が、地域親のお店で買うようになる
かもしれません。また子どもたちのネットワークも無視できません。
あそこのお店のおじさんおばさんは親切で感じが良いからあそこで
買おうという評判が広まれば、子どもも買うし、そのバックには親もいる
わけですから、これは商売のチャンスにつながります。

地域親として子どもを見守ることは、子どもたちが大きくなったときにも
良い影響を与えてくれると思います。地元の就職率も上がるかも
しれません。でも何より子どもたちにとって大切なのは、親や教師など
直接利害のある人には相談しにくい内容でも、第三者である地域親には
相談できるかもしれないということです。頼れる人が近くにいることほど、
心強いものはありません。また地域親も、以前のように漠然と子どもを
見るわけではありません。自分が見守っている子どもはもちろんのこと、
その友達にも目が届くようになり、そんな地域親たちの存在があれば、
いじめを許さない空気を作り上げることにもなります。

親からは学校に対して言いにくいような意見でも、地域親ならずばりと
言えるかもしれません。「母親参観日」「父親参観日」と同じように
「地域親参観日」なども作れば、第三者の目から学校を客観的に
見ることができて、閉鎖的になりがちな学校も、風通しが良くなって、
より良く変わるきっかけになるかもしれません。

社会を変えるのは、こんなちょっとした仕組みなのだと思います。
私たちがためらっている一歩を踏み出せるような仕組みづくり。
それが時代の雰囲気を変えるきっかけになるでしょう。

地域と家族と学校が連携して、子どもたちを育てる。
私はそんな未来を想像します。

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2006.12.04

いじめの処方箋

「純粋」という言葉の裏に、危うさを感じるのは私だけでしょうか。
外の世界から子どもたちを守っている、その学校で何が起きているのか。

いじめを克服するために、これからの学校はどうあるべきか、
私なりに考えてみたいと思います。

以前、ハンセン病の元患者が、学校で講演会を行なった新聞記事を
読んだことがあります。「人間はなぜ差別をするのですか」という
学生の問いかけに、その人はこう答えました。「心が弱いから」と。

その答えに衝撃を受けた私は、そのことを記事にしました。そして
私たちがすべきこととは何かを書きました。それは「まず私たちは
心の弱い人間だと自覚すること。そしてその心の弱さは差別を生むと
いうことを知ること」だと。これはそのまま、いじめにもあてはまること
ではないでしょうか。

人間は本来、差別やいじめをしたがる生き物なのかもしれません。
相手を蹴落とし、自分が優位に立つことで身の安全を図り安心したい
と考える生き物。優位に立たないまでも、大多数と同じでありたいと
願う生き物。私たちはそんな人間だと自覚することから、この問題を
考え始める必要があるのではないでしょうか。いじめをなくすことは
できないかもしれません。我々はそんな人間なのですから。でも
克服することならできるかもしれない。そこに希望があります。

ではどうすれば、いじめを克服できるか。私が心配しているのは、
今の学校の構造です。外の世界から子どもたちを守ってくれて
いますが、それは同時に学校の中が社会から隔離された存在でも
あることを意味しています。いわば学校の中は純粋培養の世界で
あると言えるのではないでしょうか。そこで増殖されるものは何なのか。
悪しきものが増殖されるのを、防ぐ方法はないのか。

大人の世界でいじめが問題になることがそれほどないように思える
のはなぜでしょうか。子どもの頃あれほどいやな奴が、大人になると
憑き物が落ちたように、真人間になったりするのはなぜでしょうか。
ヒントはそこにあるように思えます。年をとって人間が丸くなったから
だと答える人もいるでしょう。それもあると思います。でも大きな
要因は、社会に触れて経験を重ねたからではないでしょうか。
社会性とは「他人との関係など、社会生活を重視する性格」だと
辞書に書いてありました。辞書の説明どおりであれば、社会性の
ある人間はいじめはしないものだと言えます。大多数の大人が
いじめをしないのは、社会性があるからです。

人間は社会的な生き物である。だけど、社会性は生まれながらに
身に付いているものではありません。社会に触れ、経験を重ねる
ことによって、身に付くものです。子どもたちがどうすれば社会性を
身に付けられるか、私たち大人は模索しなくてはならないのでは
ないでしょうか。外の世界から隔離された今の学校ではいじめを
克服するのは難しいと思います。だからといってむやみに社会に
開いてしまうと、外から危険な人物がいつやって来ないとも
限りません。子どもたちが社会に触れるにはどうしたら良いのか。
無防備に社会に「開く」のではなく、安心安全なところを選び、
社会と「つながる」必要があるのではないでしょうか。社会と
「つながる」学校づくりが、今求められていると私は考えます。

いじめに効く特効薬はありません。社会と「つながる」学校づくりを
推進することが、漢方薬のようにじわじわと効いて、悪しきものの
増殖を抑える強い体質に、きっと改善してくれると信じています。

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