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2006.12.04

いじめの処方箋

「純粋」という言葉の裏に、危うさを感じるのは私だけでしょうか。
外の世界から子どもたちを守っている、その学校で何が起きているのか。

いじめを克服するために、これからの学校はどうあるべきか、
私なりに考えてみたいと思います。

以前、ハンセン病の元患者が、学校で講演会を行なった新聞記事を
読んだことがあります。「人間はなぜ差別をするのですか」という
学生の問いかけに、その人はこう答えました。「心が弱いから」と。

その答えに衝撃を受けた私は、そのことを記事にしました。そして
私たちがすべきこととは何かを書きました。それは「まず私たちは
心の弱い人間だと自覚すること。そしてその心の弱さは差別を生むと
いうことを知ること」だと。これはそのまま、いじめにもあてはまること
ではないでしょうか。

人間は本来、差別やいじめをしたがる生き物なのかもしれません。
相手を蹴落とし、自分が優位に立つことで身の安全を図り安心したい
と考える生き物。優位に立たないまでも、大多数と同じでありたいと
願う生き物。私たちはそんな人間だと自覚することから、この問題を
考え始める必要があるのではないでしょうか。いじめをなくすことは
できないかもしれません。我々はそんな人間なのですから。でも
克服することならできるかもしれない。そこに希望があります。

ではどうすれば、いじめを克服できるか。私が心配しているのは、
今の学校の構造です。外の世界から子どもたちを守ってくれて
いますが、それは同時に学校の中が社会から隔離された存在でも
あることを意味しています。いわば学校の中は純粋培養の世界で
あると言えるのではないでしょうか。そこで増殖されるものは何なのか。
悪しきものが増殖されるのを、防ぐ方法はないのか。

大人の世界でいじめが問題になることがそれほどないように思える
のはなぜでしょうか。子どもの頃あれほどいやな奴が、大人になると
憑き物が落ちたように、真人間になったりするのはなぜでしょうか。
ヒントはそこにあるように思えます。年をとって人間が丸くなったから
だと答える人もいるでしょう。それもあると思います。でも大きな
要因は、社会に触れて経験を重ねたからではないでしょうか。
社会性とは「他人との関係など、社会生活を重視する性格」だと
辞書に書いてありました。辞書の説明どおりであれば、社会性の
ある人間はいじめはしないものだと言えます。大多数の大人が
いじめをしないのは、社会性があるからです。

人間は社会的な生き物である。だけど、社会性は生まれながらに
身に付いているものではありません。社会に触れ、経験を重ねる
ことによって、身に付くものです。子どもたちがどうすれば社会性を
身に付けられるか、私たち大人は模索しなくてはならないのでは
ないでしょうか。外の世界から隔離された今の学校ではいじめを
克服するのは難しいと思います。だからといってむやみに社会に
開いてしまうと、外から危険な人物がいつやって来ないとも
限りません。子どもたちが社会に触れるにはどうしたら良いのか。
無防備に社会に「開く」のではなく、安心安全なところを選び、
社会と「つながる」必要があるのではないでしょうか。社会と
「つながる」学校づくりが、今求められていると私は考えます。

いじめに効く特効薬はありません。社会と「つながる」学校づくりを
推進することが、漢方薬のようにじわじわと効いて、悪しきものの
増殖を抑える強い体質に、きっと改善してくれると信じています。

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