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2007.03.06

「あたりまえなことばかり」 池田晶子

このblogのキーワードのひとつに間違いなくあるのが、「考える」と
いうこと。あるものについて考えてみたり、自分なりに捉え直して
みることで、新しい発見をしたり、新しい価値が生まれたりすることは、
とても楽しいことです。

その楽しさを教えてくれたのが、先日亡くなった池田晶子著の
「あたりまえなことばかり」でした。どういった経緯で手に取ったか
もう忘れてしまいましたが、哲学書らしからぬ洒落た本の体裁。
パラパラとページをめくると易しい言葉で興味深いことが書かれて、
思わず引き込まれてしまいました。

実は以前にもこのblogでこの本の内容を引用したことがあります。
※2004年11月20日の記事「スタンド・バイ・ミー」参照。
「言葉は命である」という記述を引用したのですが、
今でもそれは私の心の真ん中に息づいています。

さて、ここでクエスチョン。3つの問いに答えてください。

「死ぬということはどういうことなのだろうか」
「宇宙の果てはどうなっているのだろうか」
「なぜ人を殺してはいけないのだろうか」

これらの問いに、あなたならどう答えますか?

佐世保小六女児同級生殺害事件が起きたとき、インタビューに
答えた先生は、こう言いました。「生徒たちに命の大切さを
教えなければいけない」と。このとき私が感じた違和感を、
今ならはっきりと指摘できます。先生、あなたはなぜ人を
殺してはいけないのか、答えることができますか?

池田晶子はこんなことを書いています。

>「生死」「宇宙」「善悪」等、完全に人間の本質としての
> 知識について、人は人に何かを「教える」ことなど
> できるのだろうか。

そして、こうも書いています。

> 自ら考えさせること。考えて納得させること。
> それ以外に善悪を教育することはできない。

そう、私が感じた違和感はこう言い換えれば解消します。
「生徒たちと一緒に命の大切さを考えていかなければいけない」
これなら納得です。

さて、では3つの問いに答えてみましょう。
もし子どもから尋ねられたら、あなたはどう答えますか。
私ならこう答えます。

「そんな大事なことは人から教わるもんじゃない。自分で考えろ」

考えることの大切さを、池田晶子は何度も繰り返し書いています。

> 子供であれ大人であれ、人は不思議に目ざめることによって、
> 自ずから矩(のり)を知るのではなかろうか。無理に道徳や
> 哲学を教え、学ぶ必要もない。不可解な大宇宙に生き死ぬ
> 不思議、この感覚に目ざめるだけで、じつは十分なのでは
> なかろうか。この感覚は、ある意味で、畏怖する謙虚さの
> ようなものだからである。

「生死」「宇宙」「善悪」。考えても考えても分からない不思議。
科学をもってしてもすべての謎をいまだ解き明かすことは
できていません。その事実に気づいたときの驚き。
その気持ちを大事にしたいと思います。

「驚きを忘れるな」

この本に出てくるメッセージの中で、特に印象的なものです。
人は驚きを忘れたとき、おごりが生まれ、おそれを無くす。

知らないものを知りたいという欲求。知らなかったことを知った
ときの驚き。どうなってるのだろう。なぜだろう。そこから考えると
いう行為が始まります。それが人として生きるための出発点です。

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