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2007.06.11

やさしさの型

最近、江戸しぐさが注目されるようになってきました。その中で
私が面白いと思ったのが「うかつあやまり」。足を踏まれたとき、
踏まれた方も謝るというものです。

足を踏まれたら、踏んだほうが当然謝るべきだと考える自分に
気づいて、ちょっと驚きました。江戸しぐさでは踏まれたほうも
謝るという。その発想がいつのまにか私にはなくなっていました。

足を踏まれて、相手をにらみ、謝るのを待っている自分の顔は、
きっと醜い表情をしていることでしょう。それより、踏まれた自分
のうかつさを謝る「うかつあやまり」は、ずっと大人の対応だと
言えます。自ら一歩引くことで円滑なコミュニケーションを取ろう
とする江戸商人の知恵です。

しかし、これは社会全体が成熟していないと成立しない考え方
です。自分が謝っても相手が謝らないのでは謝り損ではないか、
そう思ってしまいます。交通事故などは、謝ってしまうと過失を
認めたことになるから、謝ってはいけないとよく言われます。
訴訟社会の波が、日本にもすぐそこまで押し寄せてきています。
私たちはどうすべきなのでしょうか?

もう少し素直に謝ろうと、アメリカでは「ソーリー法」と呼ばれる
法律が施行された州もあるそうです。その記事によれば、
交通事故の現場で「アイムソーリー」と謝っても、その言葉を
非を認めた証拠とはしないというもの。「事故を起こしたことを
悔いて謝罪が口をついて出るのは、人間の自然な感情のはず。
裁判で不利にならないよう双方が不機嫌な顔でにらみ合うのは
どうにも窮屈で我慢しがたい」というのが立法趣旨だそうです。
「誠意ある謝罪こそ、訴訟を防ぐ近道」なのだと、
その記事は結んでいます。

日本も将来こんな姿になるのでしょうか?法律で保護されて
やっと謝ることができる社会。なんだか子どもみたいです。
先生に肩を押されて、やっと友達に「ごめんね」と謝るのと
大差ありません。そこで注目したいのが、江戸しぐさの
「うかつあやまり」です。素晴らしい文化だと思います。

そんなものは世界では通用しないよ、と言われそうですが、
世界がいつも正しいとは限りません。「MOTTAINAI」が注目
されたのは、まだ記憶に新しいと思います。世界に誇れる
素晴らしい伝統を私たちは持っているかもしれないのです。

しかし悲しいことに、現代の日本では「うかつあやまり」は通用
しないかもしれません。でも今から子どもたちに教えていけば、
次の世代では当たり前になる可能性だってあります。それには
教育が必要です。みんながみんな同じ行動を取ることができる
なら、譲り合う精神だって生まれるはずです。

やさしさの「型」を、子どもたちにきちんと教える必要があるの
ではないでしょうか?やさしさって、気持ちだろ、うわべだけ
したって意味ないじゃないかと言われそうです。でもやさしさは、
いくら心で思ってたって駄目です。しぐさに現れなければ、
相手に伝わりません。やさしさが失われた今だからこそ、
まずその「型」を覚え、練習するところから始めないと
いけないのではないでしょうか。

サービス業では、朝礼で唱和するところも多いと思います。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」。当たり前
すぎる言葉なのに、なぜいい大人が毎朝みんなで声を
そろえて繰り返すのでしょうか?それはいざという時、
その言葉が出ないからです。だから練習しているのです。
やさしさだって、きっと同じだろうと思うのです。

最近私が気になってるのは「世界に一つだけの花」が大ヒット
したことで、オンリーワン思想とでもいうべきものが、一人歩き
してしまったことです。「僕は僕らしく」あればいいと、そんな
考えが世の中の主流になっているように思えます。
あまのじゃくな私はどこか引っ掛かるものを感じてたのですが、
ようやくこのことに気づきました。「僕は僕らしく」ある前に、
まず「僕は人らしく」あるべきではないか。

昨今のモラルの低下をもたらしたのは、安易な個性の尊重では
ないかという気がします。人らしくなくて、個性や自由だけ主張
するのは、単なるわがままです。私たちはそんな当たり前の
ことが当たり前じゃない時代を、生きていかなければいけません。

まずは、やさしさの「型」を覚えること。学ぶの語源は
「真似ぶ(まねをする)」だそうです。良いところをどんどん真似
していく。そうやって体に覚えこませるのです。アーティストが
最初から個性的だったわけではありません。最初はみんな
基礎を繰り返す中で、自分の個性を伸ばしていったのです。

やさしさの「型」を繰り返していく中で、自分の持っている
やさしい気持ちを、それに乗せていってください。
きっと相手に伝わるはずです。

そのやさしさはあなただけのオンリーワンです。

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コメント

以前、写真を撮っていた時、トンボ取りに来た(お父さんについて帰郷していたんだと思います)子供が「おじゃましま〜す」と言って、脇をすりぬけていったことを思い出しました。
普通、そんなこと大人でも言いません。
もちろん、私も・・・同じカメラを持った人と同じモノを撮っている時は挨拶くらいはしますが・・・
あの子は、とても幸せに育っているんだなあと。
ご両親は、この「うかつあやまり」に通じるものを持ってらっしゃるんじゃないかと思います。
私も見習わないと・・・

投稿: mononoke | 2007.06.11 19:52

いい話ですね。「おじゃまします」ですか。
こういうものって、ふだんどんな生活をしてるかが
とっさの時に出るんでしょうね。難しいですね~。
子どもは親の姿を見て育つっていいますから、
私もこのご両親を見習わないと・・。

投稿: タオ | 2007.06.12 02:00

タオさん
こんばんは。
素敵なお話をありがとうございました。
「うかつあやまり」いい言葉ですね。
江戸文化には、見習うところがいっぱいですね。

相手の否ばかりを見ようとしてしまいがちですが
そうですね。ちょっと思考の方向を変えてみるだけで
こんなにも優しい気持ちになれるのですね。
いつもキリキリしている自分を反省しました。
心を大きくしたいです。いっぱいいっぱいでは
何も想像できない頭になってしまいますね
心の余裕が何よりも大切だと思いました。

投稿: うずまき | 2007.06.13 01:29

うずまきさん、こんばんは。
長い話を読んでいただいてありがとうございます。
最近の流行は、昭和を通り過ぎて、江戸に向かってるような
気がするのは私だけでしょうか?
情緒やエコに関することなら、今よりも江戸時代のほうが
ずっと豊かだったのかもしれないなあと、最近思い始めました。

心の余裕って大切ですよね。子育て真っ最中の我が家に
一番必要なものかも。ホント大変です(^^;)。

投稿: タオ | 2007.06.13 02:33

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