カテゴリー「以前の日記より※」の20件の記事

2007.07.16

検証!『海を見ていた午後』

機会があれば載せたいとずっと思ってた日記があって、
なかなかその機会がありませんでした。でもけっこう
好きなエピソードなのでかまわず載せてしまいます。
今度「シャングリラ3」見に行くことですし。

ずいぶん前に横浜に行った時でのお話です。
では、どうぞ。

(以下原文そのまま)
2001年5月25日の日記
「検証!『海を見ていた午後』」

横浜に足を運ぶ機会があれば、私にはどうしても
確かめておきたいことがあった。

まだユーミンが松任谷由実ではなく、荒井由実だった頃の
曲で『海を見ていた午後』という歌がある。初期の名曲で
ある。歌詞の内容は、恋人と別れてしまった主人公が、
2人の思い出のレストランを1人で訪ねて、そこからの
景色を眺めながら、遠いあの頃を振り返るというものだ。
その歌詞に出てくる「ドルフィン」というレストランは
実在していて、ユーミンに歌われたことによって一躍
有名になったという話を、何かで読んだことがある。
その「ドルフィン」が横浜あたりにあるらしい。昔から
気になってたことを確かめるチャンスがやってきたのである。

1.山手にある「ドルフィン」の"ソーダ水の中を貨物船が
 とおる"というが、それはホントに見えるのか?
2.「ドルフィン」では"晴れた午後には遠く三浦岬も見える"
 というが、それはホントのことなのか?
(注:こんな内容の歌詞が出てきます)

”山手のドルフィンは静か~なレストラン~♪”てなわけで、
実際に行ってみた。横浜から少し離れたJR根岸駅で降り、
徒歩10分のところに「ドルフィン」はある。小高い丘の上に
建っているため、坂を上らなければならず、けっこうしんどい。
お店に入ると、さすがに眺めが良いのをウリにしているだけは
あった。海が見える正面と側面は、全面ガラス張りである。
天気も良かったため、その眺めは素晴らしいものだった。
高台から海を見下ろすと、左側にコンビナートがあり、海の上
にはヨットが浮かび、遠くに貨物船も見える。おお!貨物船だ!

そこで、さっそくドルフィンソーダなるものを注文した。
ソーダ水は、やはりこのお店の定番であるらしく、周りを見ると
同じものを注文してる人がかなりいた。ユーミンの影響力や、
おそるべし!まずは第1の疑問を確かめてみることにした。

1.山手にある「ドルフィン」の"ソーダ水の中を貨物船が
 とおる"というが、それはホントに見えるのか?

ソーダ水をテーブルの中央に置いてみた。ソーダ水の中を
通して、貨物船を見ようと目を凝らしたが、実際には見る
ことはできなかった。なぜなら、グラスの表面に水滴が
付いていたからだ!見えるわけがない。こんな当たり前の
ことに今まで気が付かなかったとは迂闊な話である。
ソーダ水の色で、余計見えにくいという事もあるが、
それ以前の問題のような気がする。

また、仮に見えたとしても、その場合かなり不自然な姿勢に
なることも発見した。見ようとすれば当然、ソーダ水に目線を
合わせる必要があるため、テーブルに顔をかなり近づけなければ
ならない。もし歌詞の通り、一人で来てそんなことをしていたら、
それはかなり怪しい人物だと言わざるを得ない。

そして次に、第2の疑問を確かめる作戦に出た。

2.「ドルフィン」では"晴れた午後には遠く三浦岬も見える"と
 いうが、それはホントのことなのか?

窓際の席に座り、外を見まわすが、三浦岬らしきものは見えない。
晴れた午後なのに、見えないということは、よほど視力の良い人
でないとムリなのか?手を上げて、ウェイターを呼び止めた。
「三浦岬はどこですか?」「はあ?」
何だ、このウェイターは?「ドルフィン」といえば、三浦岬を
知ってるのが常識だろう。勉強不足だな!そう憤慨していると、
「三浦岬ですか?三浦半島のことだったら、横須賀があるのが
 三浦半島ですから、方角が全然違いますよ」とウェイターが
答えてくれた。どうやら三浦岬というものはないらしい。
三浦半島ならあるが、横須賀がすっぽり含まれるようなでっかい
半島だから、仮に見えたとしても岬のイメージには程遠い。
かなり恥ずかしい思いをして聞き出したのだが、「三浦岬」は
ユーミンのイメージの産物であるらしいことが分かった。

その他にも、"紙ナプキンにはインクがにじむから"忘れないでって
書くのがやっとなのか?とか(こんな内容の歌詞も出てきます)、
確かめてみたかったけど、それをやると、さっきのウェイターから
「出ていってください」と言われそうなので涙を呑んで我慢した、
海を見ていた午後だった。

Dolphin

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2007.01.18

あと半分ある!

新年にふさわしい文章を、昔書いた日記に見つけました。
あらためて読んでみると、過去の自分から今の自分に
宛てた手紙のように感じました。気持ちも新たに
今年も意欲的にがんばりたいと思います。

(以下原文そのまま)
2003年3月19日の日記
「あと半分ある! 」

先日NHKで放送された「松任谷由実の軌跡」を見た。
この番組は、本人がデビューからの30年の軌跡を
振り返るという内容だった。

その中でとても印象に残った言葉がある。
それは、荒井由実の名前で行なった1996年のコンサートに
ついてのことで、なぜその時期に自分の原点ともいえる
昔の名前で昔の曲を歌ったかを話していた。その言葉が
とても興味深いものだった。以下、ユーミンの言葉を紹介する。
==========================
「今考えてみても折り返し地点だなあとは思います。」
「それ以前の数年、このままやってっても先が見えるなってゆう
感じに襲われたところがあって・・」
「でも折り返しだと思ったら、とたんまた折り返した気がした先に、
先の見えない地平が広がっていたという感じで、また走る気に
なる、そういう時期だったんじゃないかなと思うんですね。」
==========================

この言葉は面白い。まず発想の転換がユニークだ。
自分の限界が見えたと思った時に、それを超えて自らをより
高みに引き上げていく方法を語っている。物事を直線的に
捉えて、先が見えるからといって諦めてしまうのではなく、
「折り返す」ことで、あと半分の道のりを気持ちを新たに進んで
いける。考え方ひとつで人はどうにでも変われるものなのだ。

そして「折り返し」という考え方のさらに興味深いところは、折り
返した以上すでに道のりの半分を過ぎたことを認めている点に
ある。これって意外に難しいことだと思う。アーティストとしての
才能や活動がすでに半分終わってることを宣言してるわけ
だから・・。それができるのはそれまでの自分のやってきたこと
をきちんと評価してるからだと思う。もう先がないと焦るわけでも
なく、まだまだこれからだと強がるわけでもなく、自分が立って
いるところをしっかり見極め、そこからまた一歩を踏み出して
ゆく姿勢はあくまでも自然体であり、なおかつ力強い。
できるものなら私も見習いたい。

人生70年とすれば私もちょうど折り返し地点にいることになる。
まあ明日のことも分からないわけだし、実年齢は関係ないかも
しれないが、私も結婚して子供ができて~など、それまでの
人生を振り返ってみると、やはり「折り返し」を過ぎたあたりに
いるのだろう。人生半分終わったと認めるのは勇気のいること
だけど、今まで生きてきた自分をきちんと評価してあげよう。
そうして折り返した先には、先の見えない地平が広がってくる
のだから。まだ開けてない未来があと半分ある!

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2006.05.23

兆し

ユースケが生後2ヶ月のときに、私が書いた日記を載せます。
当時ユースケは通称グースケと呼ばれていました。その理由は
読んでみてください。ちなみにシュンヤは通称フガフガ君という、
ニックネームで呼ばれています。鼻が詰まりやすいようで、
いつもフガフガ鼻を鳴らしているからです(^^)。赤ちゃんのときって、
言われたい放題。ひどい親だなあと我ながら思うけど、
そのときどきで変わる愛称は、毎日見守っている親だから
できることなのでしょう。な~んて、さりげなく自己弁護(^^;)。

(以下原文そのまま)
2001年4月28日の日記
「兆し」

最近ユースケの様子が変なのだ。

いつもだったら、夜中でも3時間置きにミルクを欲しがるのに、
そのまま朝方まで寝てたりすることがある。
たて抱っこしたら私の肩にポフッと埋まってたのに、
出初め式のはしご乗りみたいにバランス取って、首を伸ばして
いることがある。ミルクを飲んだら満腹中枢を刺激されてすぐ
寝てたのに、そのまま起きてることも多くなった。
声を出すのはビービー泣く時だけだったけど、アーとかウーとか
言うようにもなった。起きてる間は泣いてばかりで抱っこしないと
収まらなかったけど、一人でおとなしくしてることもあるようになった。
にこーと満面の笑みを浮かべることもある。

これはどう考えても変である。今までにはなかった反応だ。
ユースケの体の中で、一体どんな変化が起きているのだろうか?
きっと想像もつかないスピードで成長してるのだろう。
これからが楽しみだ。ユースケも今日でちょうど2ヶ月になる。
実際、だいぶ重くなってきた。髪の毛も、芝生の芝ぐらいには
うっすらと生えてきた。日に日に成長する我が子を見守りたいと思う。

と書いたものの、まだまだグズることも多い。苦労は絶えない。グズる
ユースケを我々は、グズりん坊ユースケ、略してグースケと呼んでいる。
早くその名前を呼ばなくて良い日が来てほしいものである。

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2006.03.17

ホワイトデー

全国各地、悲喜こもごもあったであろうホワイトデー。
我が家はジョン太が、会社でもらった義理チョコのお返しを、
偶然にも出産前日に買いに行ってくれてました。
ナイスだ、ジョン太!

そんなわけでホワイトデーのネタをここでひとつ、
以前書いた日記からご紹介します。

(以下原文そのまま)
2003年3月14日の日記
「ホワイトデー」

ホワイトデーのプレゼント、ひとつ余ってしまいました。
誰に渡すものだったか思い出せません。どうしたら良いのでしょうか?
バレンタインデーのチョコレート、美味しくいただきました。
確かに私の胃袋に入ったはずで、食べてた時にはひとつひとつ
感謝して食べてたはずなのに・・。

バレンタインデーは4つ義理チョコをもらいました。たぶん。
ジョン太も4つと覚えてたので間違いないでしょう。きっと。
ジョン太に用意してもらったお返しの品を持って行こうとしたとき、
なんだか妙な不安感が・・。
「え~と、誰に渡すんだっけ?」
「知らないよ。数しか覚えてないもん」
その場で数え上げる私。会社で2つ、取引先関係で1つ。
あとひとつどうしても思い出せません。なんということ・・。
たぶん会社の人だろうと見当をつけて出勤しました。

とりあえず一緒に仕事をしてるパートナーに聞いてみようと
思いました。その人が誰からもらったか聞けば、きっとそれと
同じに違いない。朝一番、そのパートナーから、
「お、その包みはホワイトデーか?さすがだな」と言われ
「いや、実は・・」と事情を話すと
「え、俺は○○さんと、○○さんにもう渡したよ」
なんと、私が覚えてる2人と一緒!とするとやっぱり誰なのかは
分からないまま・・。

昼休み、おそるおそる女性陣に聞いてみる。
「え~と、バレンタインデーもらったっけ?」
ものすごく聞きにくい質問です。
「ハイって言ったらなにかもらえるんですか?」「え~と・・」
「誰か私にチョコくれた人いますか?」女性陣はただ笑うだけ・・。
あ~、どうしたら良いのでしょうか?

バレンタインデーなら誰に渡すか忘れても、誰かにあげれば
済む話だけど、ホワイトデーは返さなきゃいけないから、
もらってない人にあげるのはとっても変。悩みは深い。

男性陣に相談すると「そりゃやばいですよ」とか「サイテーですね」とか
「どっか他の女からもらったんじゃないの。もてるな、おい」などと
勝手なことを言われ、何のアドバイスもない。結局分からないまま。

結論としてはきっと、取引先の会社から、ということでもらったんじゃ
ないかと思われます。これだけ覚えてないということはきっと個人から
ではないに違いない。そう決めて、分からないならしょうがないやと
家に持って帰りました。
「おかえり~」とジョン太。
「やっぱりひとつ分からなかったよ」と私。
「え~、せっかく買ったんだからちゃんと渡してよ」とジョン太。
ちゃんと渡したいのはやまやまなんだけど・・。
あ~、私はどうしたら良いのでしょうか?

とりあえずもう少し頑張ってみます。

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2006.03.05

ここより永遠に

2月28日はユースケ5歳の誕生日でした。
私が「ユースケ、誕生日おめでとう!」と言ったら、
ユースケは「どういたしまして」と言ってきました(笑)。
まだまだ言葉の使い方におかしなところはあるものの、毎年確実に
心身ともに成長していて、それは親としてとても嬉しいものです。

去年はユースケが生まれた日の日記を掲載したので、今回は
ユースケ命名の日記を、このblogに再掲載したいと思います。

(以下原文そのまま)
2001年3月10日の日記
「ここより永遠に」

先日まで寒の戻りで冷え込んでいたが、今日はようやく春の
兆しも見え始めた。そんな天気の良い午後、出生届を提出した。

命名に関しては、今年になってからずっと考えていた。
「呼びやすい名前」で「易しくて読み間違えられない名前」を
ポイントにして、名前の候補が挙げられた。しかし、お互い
気に入る名前というのは少なくて、いろんな名前が浮かんでは
消えていった。そんな中、最初から候補として挙げられ、最後まで
残った名前がひとつだけあった。私たちはその名前に決めることにした。
無理にあれこれ考えるよりも、自然に気に入った名前を付けるほうが
良いのだろう。子供が産まれて数日後、彼女が「名前どうする?」と
聞いてきたので、「やっぱりあれかな」と私が答えて、名前が決まった。
あれだけ悩んでいたのに、名前が決まる瞬間というのは、驚くほどあっけ
なかったりする。でもそのことがとても自然な成り行きのように思えた。

名前を決めるに当たり、私は母に、私の名前が命名された時のことを
聞いてみた。名前の由来は知っていたが、母は今回こんなエピソードを
教えてくれた。私の名前は、父が自分で決めて、誰にも相談せず、
出生届を出してきたらしいのだ。私の兄の時は、母と祖母が名前を
考えたので、私のときはどうしても父が自分で名前を付けたかったようで、
届けを出してから、みんなに名前を披露したのだ。「あの人は、時々
みんながびっくりするような大胆なことする人だったからねえ」と母は、
当時を振りかえり懐かしそうに言った。母の驚く顔や、父の行動を
想像するととてもおかしい。そしてなんだかとても嬉しい。
自分の名前を誇りに思う。

「祐介(ゆうすけ)」これが私たち初めての子供に付けた名前だ。
将来この子が大きくなった時に、気に入ってくれると嬉しい。
そしてこの名前の、この子が、これからどんな人生を送るのか、
私たちはずっと見守っていきたい。
この子の人生はここから始まる。

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2006.03.01

シェアリング

2月27日は結婚記念日でした。

結婚について以前書いた日記があるので、
このblogに再掲載したいと思います。

(以下原文そのまま)
2001年7月12日の日記
「シェアリング」

美味しいものを食べに行ったとき、私たちは必ず違うものを
注文する。そしてお互いの料理を一口食べさせてもらうのだ。
そうすることで違う味を楽しめる。私たちはずっとそうしてきた・・。

「何が2人を結婚に踏みきらせたの?」と、
独身の友達から、将来の参考にと聞かれたことがある。その時は
どう答えていいのか自分でもよく分かってなかった。性格も違えば、
考え方も違う私たちだ。結婚に踏みきる理由とは何だろう。

「楽しいこと」について考えてみる。
私は"楽しいことは自分でつくる"派だ。楽しいことを自分で考えて、
つくりあげるのが好きだ。ある意味凝り性ともいえる。他人が用意
してくれたものはそれなりに楽しいけれど、自分たちでつくりあげた
ものはそれよりもっと楽しい、と考える。
彼女は"楽しいことは体験する"派だ。旅行、英会話、食べ歩き
などの趣味に加えて、1日体験入学なども好んで参加する性格で
ある。そういえば牛の乳しぼりもやってみたいと言っていた。
こんなふうに私たちは違っている。

だからいいのだと思う。
彼女と出会って今まで知らなかった楽しさが私の中で広がった。
自分だけだったらきっと知らない楽しさだったろう。

最近、シェアリングという言葉を聞くことがある。分け合うこと、
共有することという意味らしい。結婚をシェアリングというキーワードに
当てはめて考えてみる。結婚してまず変わるのは、時間もお金も
それまでよりずっと少なくなることだ。そういったものを分け合うことが
必要になり、それは結婚するがゆえの不自由さといえるだろう。
それでも多くの人が結婚してしまう。それはなぜか?

こんなプロポーズの言葉を何かで読んだ記憶がある。
「あなたの残りの人生を僕にください」
男らしいプロポーズと思う。俺について来い的な頼もしさを感じる。
そういうのもいいかもしれない。だけど相手が「はい」と返事をしたら、
プロポーズした人は、相手の残りの人生を背負ってしまうことになる。
それはけっこうな重荷になるのではないだろうか?
そして「はい」と答えた人は、自分の残りの人生を、相手に預けること
になる。それは果たして幸せなことだろうか?
もし同じ言葉を口にするとすれば、私ならこう言い換えるだろう。
「あなたの残りの人生を僕にもください」

結婚する理由とは、相手の人生も生きてみたいと思うことでは
ないだろうか。その人の生き方も生きてみたい。美味しいものを
食べに行ったとき、お互いの料理を少し食べさせてもらうのと同じ
なように。それは相手の人生を背負うのではなく、分けてもらうと
いうことだ。

もし1人で生きていくとしたら、それは納得のいく人生かもしれない。
だけど、それは自分の知ってることしか知らない人生だ。
自分の人生を生きながら、相手の人生も生きてみたい。
結婚はそれができる。だからきっと結婚するのだ。

結婚は、あんなふうに生きてみたいなと思える人としたい。
それだから、お互いの人生(価値観)は魅力あるものであって欲しい。
分け合うことは、減ることではなく、増えることだと考えたい。
分け合うことで、人生は2倍になる。
結婚って、たぶんそういうこと。

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2006.02.15

稼ぎを待つ者

このブログを始めるまでは、ジョン太の日記の後ろにリンクして、
私の日記を時々載せてもらっていました。今考えるとちょっと
トラックバックっぽい感じかも?夫婦間トラックバック?

ジョン太の日記の内容を受けて、私がどう書くかというのが、
自分なりになかなか楽しい試みでした。今回載せるのは
以前の話。バレンタインデーのジョン太と私の日記。
ちょうどユースケが生まれる2週間前の出来事です。

ジョン太の日記
2001年2月14日「バレンタインデー」

今日、世間ではバレンタインである。
仕事をしていない私としては「義理チョコ」にも縁がなくのんびりしたもの。
思えば「義理チョコ」なんて、いつから市民権を得たんだろう?
(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
せっかくなので、今日はチョコレートケーキを焼いてみた。
TVで簡単そうに作っていたのでチャレンジしてみたけど、出来あがりの
感じが微妙に違うような気もする。フワフワの口あたりでスフレに近い
感じかも・・。ま、一応「手作り」ということで大目にみてもらうとしよう。

それを受けて、私の日記。
(以下原文そのまま)
2001年2月14日「稼ぎを待つ者」

今日、世間ではバレンタインである。
仕事をしている私としては「義理チョコ」は多少なりとも縁のあるもの。
会社の女の子などからもらうのだが、嬉しい反面、申し訳なく思う
気持ちもある。無理して用意してくれなくても良いのだが、そう思うのは
私も年を取った証拠だろうか?しかしここに私がもらう「義理チョコ」を
心待ちにしている者がいる。ジョン太である。

仕事が終わり、家に帰ると「チョコもらった?」と聞いてくる。
私がもらったチョコを見せると、「開けていい?」と言い、勝手に開け始めた。
「これ知らないなぁ。(裏のラベルを見る)あ、モロゾフだ。
こんな名前(ブランド)でも出してるのね」
「あ、メッセージが付いてるよ。『奥様と仲良く食べてください』だって!」
「これはアーモンドにチョコをまぶしたもの。美味しいんだよ」
一人でぶつぶつ言いながら、包装を解いている。それを横で見ている私。

ひと通り見終わると、おもむろに仕舞い始めて一言。
「じゃ、これは産まれてからね」 お~い!

ジョン太は、私が「義理チョコ」をもらって帰るのを心待ちにしている。
こんなに楽しみにしている人も珍しいと思う。
どこの家庭でもこんな感じなのだろうか?
もらった「義理チョコ」は、ありがたく2人で一緒に食べさせていただきます。

そしてジョン太からもらった手作りのチョコレートケーキ。
甘すぎず、しっとり柔らかでとても美味しかった。
やっぱりこれが一番だな(というか、まだ比べようがないのだが)。

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2005.12.25

感謝を送る日

せっかくのクリスマスなので、何か書きたいのですが、
今年は家族でゆっくりさせてもらおうと思います。
その代わり、以前書いた日記をこのblogに再掲載します。

(以下原文そのまま)
2002年12月24日の日記
「感謝を送る日」

もうすぐ今年も終わる。年末恒例の仕事の忙しさもようやく一段落
しそうな気配だ。気がつけば世間のクリスマスムードをほとんど
感じることもなくここまで来た。あまりの仕事の忙しさに家族にも
心配を掛けてしまった。でももう大丈夫。ゆっくり過ごすことにしよう。

去年のクリスマスは、ユースケはまだ9ヶ月でつかまり立ちをしてた
頃だった。それから1年、元気に走り回るようになり、その成長には
目を見張るものがある。言葉はまだ出てこないけど、来年にはきっと
しゃべることが出来るようになるだろう。それが楽しみだ。

ジョン太と出会ってから迎えるクリスマスは今年で5回目。
出会って初めてのクリスマスから、結婚が決まり準備に追われてた
2年目、妊娠して出産を控えた3年目、ユースケが生まれた4年目、
そして今年が5年目。それぞれに思い出はある。

人によって、クリスマスの解釈は様々だろう。それぞれに意味は
違って当然だ。別にお祝いなんかしなくたっていい。ただのイベントだと
割り切ることもできる。でも私は素直な心でお祝いしたい。それができる
特別な日だと思うから・・。クリスマスは1年で1番素直になれる日。

年月を重ねることによって、2人のクリスマスの意味も変わってくる。
想いを伝える日だったり、それを確かめ合う日だったり・・。
そして子供が生まれた今、私がクリスマスを迎えて思うのは、
無事に1年を過ごせたことに対する感謝の気持ちだ。
家族に支えられて、今の私がいる。
私にとってクリスマスは「感謝を送る日」だ。

年月を重ねることによって、2人のクリスマスの意味も変わってくる。
でも変わらない気持ちもある。その気持ちを感謝に込めて。Merry Christmas!

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2005.10.08

10月6日はジョン太の誕生日でした。
当日のプレゼントは一輪挿しの花びんとバラ+α。

あらためてそのことについては書くつもりですが、
以前書いた日記をふと思い出し懐かしくなったので、
このblogにそれを再掲載したいと思います。

(以下原文そのまま)
2003年4月25日の日記
「花」

初めて人に花を贈ったのはいつのことだったろうか?
思えば花を贈るとき、そこには必ず伝えたい気持ちがあった。

花を贈る場面というと、不思議と男が女へ渡すところを思い浮かべてしまう。
女性は花が好きで、もらうと喜んでくれるからだろうか?
そうかもしれない。でもそれだけではないような気がする。
男の側にもきっと理由があるのだと思う。

子供のときは誰かに花を贈るなんて想像できなかった。
そんな恥ずかしいことができるかと思っていた。
でも気がつけば花を贈るようになっていた。
それができるようになったのは大人になったからだろうか?

伝えたい気持ちがあって、それを形にして贈りたい。
そう思う人は多いだろう。花でなくてもそれはできる。
でも花でしか伝えられない不器用な人間もいる。
それが男なのかもしれない。花が似合うのは女なのに、
男には花が似合わないのは分かっているのに。
それでも男は女に花を贈る。遠い昔から同じことを何度も何度も。
世界中のあちこちで、たぶん言葉が生まれる前の時代から。
馬鹿の一つ覚えのように。

男はロマンチックな生き物だというけれど、コミカルな生き物でもある。
花を贈る滑稽な姿を見れば分かるだろう。
だからどうかそんな姿を見たら優しく笑ってほしい。
しょうがない奴だなと。

花はいずれ枯れてしまうものだけど、気持ちを受け取ってもらえるなら、
想い出としていつでもその花を思い出すことができる。
人生の節目ふしめが花で飾られるのも悪くない。

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2005.06.06

点景

「さよならは言わない主義」というエントリーを書いた後、
いつからそんなふうに思うようになったのか、
その原点とでもいうべき出来事があったことを思い出しました。
そのときの日記をこのblogにも再掲載します。

(以下原文そのまま)
2001年3月17日の日記
「点景」

得意先でいつもお世話になっている人の義理の母(奥さんのお母さん)が
亡くなったということで、先日そのお葬式に出席した。私の親戚筋ではなく、
会社関係としてお葬式に出るので、故人のことは何も知らない。
お寺に着くまで、亡くなった人の名前も分からないままだったという、
このテイタラクである。

亡くなられた方は高齢だったため、葬儀に参列する人たちもお年寄りが多い。
こういうお葬式というのは正直少しだけホッとする。やはり天寿をまっとうするに
勝るものはない。悲しいことではあるが、それが運命だったと、みんなが素直に
受けとめている雰囲気を、感じることができるからだ。

喪主の挨拶で、故人の生い立ちが語られるのを聞いて、
故人の一生を思い、冥福を祈った。

葬儀が終わり、出棺すると、集まっていた参列者は三々五々散らばってゆく。
その中で、2人のお爺さんが、私の記憶に強く残った。

一人のお爺さんが、もう一人のお爺さんに手を差し出し、
「元気でな!また逢おう」と言い、力強く握手をして別れた。

「ああ、かっこいいな」と私はそのとき思ってしまった。
きっと今の私なら照れて出来ないことだが、いつか気負わずにこんな言葉が
自然に言えたらいいなと思う。友とのつかの間の再会を喜び、そして無事を祈る。
気持ちの良い光景だった。

そしてそう思うと同時に、おそらくはこういった機会にしか再会できない皮肉さに、
しばし思いを寄せて寂しい気持ちにもなった。
春の風がこころなしか強い、そんな午後のことだった。

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